アジア街道各駅停車 チベット編/NO.5

---親切なお方、ごめんなさい---

サムエ村

ネドンに一泊、近くのサムイェ寺で一泊した後、ラサに帰る途中トラックをヒッチした。運転手はかなり渋っていたが何とか荷台に乗せてもらえることになった。
メンバーは僕たち3人と、きのう同じ寺に泊まった2人を合わせて5人。一人はいつもパイプでマリファナを吸っているヤンキー(ジャンキー?)で、もう一人は神経質そうなアメリカ人だ。
ところが運悪く少し走ったところで検問に引っかかった。当時、中国では営業車を除く一般の車に外国人を乗せることは禁止されていた。 (今はどうかは知らない)
僕たちは降ろされ、運転手は罰金をとられた。運転手に罰金分の金を払おうとしたが、警官が見ている前なので受け取れず行ってしまった。僕たちにすれば大したことのない金額かもしれないが、彼にとっては1ヶ月分の収入に匹敵するほどの罰金をとられたのではないかと思う。本当に悪いことをした。

トラックから降ろされた僕たちは、僕たちを乗せてくれる車を探したが、検問のすぐ後なのでどの車も止まってくれない。バスは明日の朝まで来ないし、仕方ないので次の村まで歩いて行って空港までトラクターをヒッチすることにした。
空港はラサまでのちょうど中間点にあり、そこまで行けばホテルがあるだろう。村人を捕まえては、飛行機の物まねをして飛行場まで連れて行ってくれないかと頼んでみたが、誰も相手にしてくれなかった。最後に、10歳位の向こう見ずな子供がトラクターで空港まで連れて行ってくれることになった。

昼過ぎに出発した。雲ひとつない青空の下、のどかな風景を眺めながらのんびりとトラクターで旅をするのは快適だった。少しおしりが痛くなったが、そういう時はトラクターの横を歩いた。
それにしても、チベットの空は青い。日本で見る空よりも数段深くて蒼い。高度が高く、空気の層が薄いためそう見えるのだが、何か宇宙に近いところを歩いているような実感がする。

2−3時間で着くと思っていたが予想以上に時間が掛かった。4時間位走ってもまだ着かなかった。このままでは暗くなってしまうと思い始めたころ、トラクターは急にきれいな舗装道路を走り始めた。さすがに空港に近くなっただけあって、立派な道になったなと思っていたが、この道がきれいなだけではなく、幅も広くそしてどこまでもまっすぐに続いている。少し変だなと思い始めて回りをよく見るとこれはやはり奇妙だ。なんと僕たちは、ラサ空港のメイン滑走路の真ん中をトラクターで走っているのだった。仮にも国際空港の滑走路をトラクターで走っていることに気が付いて僕たちは大笑いした。

その晩は屋台で祝杯をあげた後、空港のホテルに泊まり、翌日、中国民航のバスに便乗させてもらって、2週間ぶりに無事ラサに戻った。

ラサからギャンツェへの道−−崖の縁を縫うようにバスが走る。

11月の終わりラサからネパールとの国境行きのバスに乗った。旅行者がバスをチャーターしたツアーバスで寄り道をしながら、6日掛けて国境の村まで行く。乗客はバックパッカーばかりで、僕たちの他にも数人の日本人がいた。途中、ギャンツェ、シガッツェ、サキャ、ティングリ、ニェラムで宿泊した。

ティングリでは、トラックターミナルに泊まり、チョモランマ(エベレスト)の見えるパン・ラ(峠)まで歩いて登った。坂は緩やかな登りだったが5000メートルを越えているため、足が思うように動かない。乗客の半数ほどは途中でリタイヤしてしまった。苦労して登った峠からのヒマラヤの眺めは忘れられない。

最後の日は高度4000メートルの地から低地まで半日で一気に下る。
国境の町ザンムーの少し手前で崖崩れがあり、そこからは歩いて国境まで行くことになった。トラックで運ばれてきた荷物は人が背負って急な坂道を下って行く。
子供たちが、旅行者の荷物をあてにして集まって来た。なんと、小さな子供が2人分のリュックを運ぶという。同じバスで来た連中のほとんどは子供たちに荷物を運んでもらっていたが、僕は自分の荷物を人に持ってもらう気がしなかった。
歩き始めると汗が吹き出してきた。朝着込んだダウンを脱ぎセータを脱ぎシャツを脱ぎTシャツ1枚になった。極寒の地から亜熱帯の地に一気に迷い込んだようだ。
ようやくたどり着いた国境の村で昼飯を頼むと、どんぶりに入ったカレーと箸が出てきた。いよいよ、中国文化圏を離れてインド文化圏へ入るのだなと実感した。橋を渡るとそこはもうネパールだ。

ザンムーで荷物を運ぶ人々<<<>>>カロー・ラ(峠)

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