アジア街道各駅停車 チベット編/NO.4


---続 ツォナでの思い出 相変わらず悪夢編---


帰れないと決まれば、楽しむしかない。村の周りを散歩したり、温泉に入ったりのんびりすることにした。なんとツォナ村には温泉が沸いていた。普通チベットでは風呂に入ることはほとんどないので、ここの人たちは非常に幸運なのだろう。
1日1回昼の2時ごろ風呂場が開き村人たちがやってくる。僕たちはいつも一番風呂に入った。しばらくすると、たいてい子供たちがやってくる。わいわいがやがやとにぎやかだ。僕たちのことが珍しいのだろう。いろいろと話しかけて来るのだが、残念ながら全然分からない。チベットの言葉を少しでもはなせたらなあと思った。
次に子供たちは、脱いだ服を湯船の中に入れてなんと石鹸で洗い始める。これには少々参ったが、これがチベット式の流儀なのだろう。しばらくすると、慣れて当たり前のように感じ、僕たちも子供たちといっしょに洗濯をした。しかし、さすがに湯船の中では洗わなかった。

村の周りを散歩すると、農作業中の村人たちに写真を撮るようにせがまれたり、子供たちが道を教えてくれたりする。
ただし、いつでも歓迎されるわけではない。たぶん中国人だと思われるのだろう。ここでは、中国人はかなり嫌われている。チベット語で「トシディレ」と挨拶して日本人だというと、とたんに笑顔が返ってくる。
僕たちは有名人のようだった。日本人の僕とひでぼんはともかく、身長190で金髪のジェームスはとにかく目立つ。村人たちの目には、僕たちはどのように映っていたのだろう。ひょっとすると、21世紀からの未来人のように見えたかのしれないし、あるいは、地獄からの使者のように見えていたのかのしれない。


ヤクの糞を干して燃料を作る村人。
木の少ないチベットでは食事を作る時も燃料はいつもヤクの糞だ。










明日バスが来るという日曜日ついに恐れていた雪が降った。朝起きるとジェームスが悲壮な顔をして部屋に飛び込んできた。外に出るて見ると辺り一面の雪景色だった。
女将さんは「こりゃもう春までバスはこんね」などと平然と言ってくれる。僕たちは思案したあげく、公安に出頭することにした。「僕たちはここに不法滞在しているのでラサに送り返して下さい。」と、たどたどしい中国語で訴えたのだが、通じたのか通じなかったのか聞き入れてもらえなかった。

月曜日はいい天気になった。村に積もっていた雪は溶けて、少し希望の出てきた僕たちは昼過ぎから村の入り口とバス乗り場に分かれてバスの到着を見張ることにした。ところが、夕方になって暗くなっても結局バスは来なかった。僕たちは落胆し、どうしたらラサに帰れるだろうかと相談したが、答えらしいものは見つからなかった。
がっかりして部屋にいると、夜トイレに行ったジェームスが今度は歓喜して飛び込んで来た。なんとバスが止まっているという。しばらくして女将さんが3人の男を連れて入って来た。バスの運転手と車掌らしい。一人は部屋に入るなりいきなり酒を飲み始めた。もう一人は一晩中咳をしていた。もう一人の男が運転手だろうと僕たちはかってに決めた。

次の日、僕たちは男たちよりも早く起きて準備を終えた。とにかく今度はどんなことがあってもバスといっしょにネドンまで帰るつもりだった。酒飲みの男は朝から酒を飲んでいる。ところがしばらくしてその男が運転手だという恐ろしいことが分かった。咳ばかりしている男が車掌で、僕たちが期待した男はただの客らしい。運転手は運転席に座ってからもまだ酒を飲んでいる。この男に命を託すしか僕たちには残されていなかった。

男たちがバスに乗り込んだので僕たちも乗ろうとすると、まだ出発するわけではなく1時間ほどするとまたここに帰って来ると言われた。しかし、僕たちはとにかくバスに乗ってしまうことにした。村を出たバスは村はずれへ行き木材を積み込み、となりの村へ行っては山羊を乗せ、鶏を乗せ、最後にヤクの糞がぎっしり詰まった麻袋を積み込んで最初の場所に帰って来た。動物たちと材木と糞に取り囲まれて僕たちがツォナをでたのは既に昼近くになっていた。

バスの中では山羊との格闘の連続だった。山羊は僕が座っている座席のすぐ横にロープに繋がれていたのだが、僕の方におしりから迫って来るようになった。そして、すぐ横まで来たかと思うとジャージャーと小便をしたのだった。あわてて飛び退いたが、座席の下に置いたあったリュックは哀れにも山羊の小便の餌食になってしまった。
山羊のおしりを思いっきり押して追いやったが、しばらくするとまた迫って来る。そんなことを繰り返しているうちに、今度は後部座席に積まれていた例の麻袋が崩れ落ちてきた。山羊のおしりとヤクの糞に埋もれながらバスに揺られ続けた。

峠にはやはりうっすらと雪が残っていた。なにせ気圧が低いので普通の車でもきついところを、超オンボロなので峠付近に来るとバスは歩く程のスピードで登る。
いくつかの峠を無事越えたが、ある峠の頂上近くでタイヤがついに空回りし始めた。10人程乗っていた乗客の半数は降りてバスを押し始めたが、僕たちはふてくされてバスの中にいた。相変わらずタイヤが空転していたが、運転手がアクセルをいっぱいに踏み込んだ時、バスは大きく横滑りし、少し傾いて止まった。僕たちはあわててバスから飛び降りた。バスはなんと、数100メートルはあろうかという崖の縁で危うく止まっていた。バスに残っているのは、酔っぱらってへらへら笑っている運転手と山羊と鶏だけだった。今度は僕たちも押した。既に夕闇が迫りかけていた。こんなところでスタックされたら、地元の人たちはともかく僕たちは生きて夜を越せないだろう。必死に押し続けてやっとバスは動き始めた。

歓声を上げたのもつかの間、一度動き始めたバスは 峠を越えるまで2度と止まれなかった。乗客たちはみんな走ってバスを追いかけた。僕たちもまけじと走ったが、なにせ高度5000メートルの登り坂でのジョギングは心臓が飛び出すかと思うほどだった。が、ここでおいて行かれてはと必死で追いかけた。歩く程のスピードで走っているように見えたバスも追いかければ以外と速かった。

何とか無事峠を越えネドンの町に着いた時にはとっぷりと暗くなっていた。

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