アジア街道各駅停車 インド編/NO.8

−−インドの竹の子族−−

入院2日目ベッドで寝ていると青い顔をして友達がやって来た。血を売ってきたという。金がないから血を売ったという。
インドでは何でも売れた。ジーパンやTシャツはもちろんはいていたパンツまで売れたという。そして、金がなくなってきた旅行者は一枚一枚着ていたものを脱いで売っていく。彼らは竹の子族と呼ばれていた。そして、竹の子族の行き着くところ、売るものがいよいよなくなった時、彼らは自分の血を売る。インドでは、献血をしてもお金がもらえた。その金で一週間くらいは生き延びられる。彼らは竹の子族のなれの果てだ。自分の命を売って一週間生き延びる。
そんなことまでしなくてもいいのにと僕は悲しくなった。

入院生活は予想以上に苦痛だった。とにかく何もすることがない。
話し相手がいない。(先生と看護婦さんは英語をしゃべるが忙しくて相手をしてくれない)。読む本がない。テレビもない。窓の景色のない。ひたすらベッドで寝ているだけだ。体は特にいんどい訳でもないし、特に何の治療を受ける訳でもない。
そして、唯一の楽しみの食事はあまりおいしくなかった。

三度目の食事の時、僕は3口ほど食べて、食べるのをやめてしまった。まずい。無理をすれば食べられたのかもしれないが、もう充分だった。もういやだった。カレーの皿に背を向けて寝た。
初めて日本食が恋しくなった。ざるそば、鉄火巻き、なすびの漬け物とお茶漬け。日本食がてんこ盛りになって頭の中で運動会を始めた。しばらくして、となりのベッドの付き添いをやっていた若い男の子が先生を呼んできてくれた。
「どうしたんだね?」
「こんなもん食えるかいな!」
「じゃ何が食べたい?」
「パンと紅茶とフルーツ」
かなりわがままを言っているのは分かるが止まらない。
「じゃあ、パンと紅茶を何とかしよう。フルーツはこの子に頼んで買ってきてもらえばいい」
男の子に何か言って買いに行かせてくれた。
先生はどこからかパサパサになってカビくさい食パン数切れとティーバッグを持ってきてくれ、男の子はバナナとトマトを買ってきてくれた。僕はその食パンとバナナを食べた。
言葉は通じないが、その男の子の親切がうれしかった。彼の笑顔が、半分ふてくされたような僕の心にしみた。

そして、今・・・
カジュラホで静養した僕たちは、再びバスでアグラ、そしてデリーへと向かった。デリーからパキスタンのラホールまで、アムリッツァを通り鉄道で行く予定だったが、インド・パキスタン情勢とアムリッツァでのシーク教徒の情勢が悪化したおり、外国人は、陸路では入国できないという事だったので、やむなくラホールまでは飛行機を利用した。


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